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キントレスキーの墓場

主にDMやアニメの事を書き連ねるブログです。

ハッピーマイバースデイ

この前誕生日だった。22歳になった。22歳。学生だが一応バイトなどでお金を稼げる歳である。バイトをし始めた時期からお金や物に対する考え方や関わり方が大きく変わってきた。これはおそらく俺個人に留まるところではない。
今年の誕生日は大きく二つのプレゼントを貰った。親友から貰った6000円のコーヒーカップと親から貰った1万円札だ。どちらも今の俺なら一日バイトすれば手に入れられるものだ。昔とは違う。ではどちらが価値があるのか。それだけの価値なら無論1万円札である。コーヒーカップは親友と昔行った旅行先で値段故に俺が買い漏らしたものだ。めちゃくちゃ可愛くてクッソ欲しかったが6000円は流石に断念せざるを得なかった。ネットで取り寄せたらしいが送料込みでも7000円強と言ったところだろう。親から貰った1万円札でこれを買えば3000円のお釣りがきてそのお金で牛角の食べ放題に行ける。つまり親友から貰ったコーヒーカップは価値として親から貰った1万円札劣る。
というのは否である。理由は単純明快。1万円札を貰っても俺はそのコーヒーカップを買わないからだ。「気持ち」だとかいうクッサイ言葉を使うつもりは毛頭無い。何が気持ち、だ。これは俺の誕生日なんだから俺が喜ぶべき日であって、決してその他大勢の気持ちが介在していい日ではないし、俺はそれを汲み取らないし汲み取る気もない。小学校の時よく先生が気持ちがこもってれば喜んでくれるよとか言ってたが本気で言ってるならかなりヤバさある。と、本題からズレたが、つまるところ単純に嬉しかったのだ。諭吉の微笑みより、俺じゃ買えない6000円のコーヒーカップが。
これが今回の話の核であり、恥ずかしながらこれまでの22年で気付かなかった大事なことである。確かに1万円札は6000円のコーヒーカップより価値があり実際にその1万円札でコーヒーカップを買うこともできるが、俺が1万円札を貰ったとしても6000円のコーヒーカップを手に入れることは出来ない。何故なら個人であって他人でないから。俺はコーヒーカップを買わない。これは上にもあげた親友と行った旅行先で既に証明されているというのに、今更になって気付く。物とお金の関係には確実に、間違いなく、個人としての限界値が存在するのだ。それがプレゼントという形で今回現れただけの話である。

すげぇ。すごくない?他人すげぇ。めちゃくちゃ嬉しかったもんコーヒーカップ。誕生日すげえよ。あった、間違いなくあったよ。1万円以上の価値が。カップ可愛すぎて毎日4杯はコーヒー淹れてるもん。だから俺が親になった時は、まぁ親になって子供がバイトし始めたらでいいかな。物をあげよう。安上がりだしね、貰った方も多分嬉しい。そらもうウィンウィンよ。素晴らしい。実際俺がバイトしてなかった時はお金の方が嬉しかったんだよ。歳をとったなぁ。俺も両親になんかあげよう。あいつら老い先長くないしな。結構喜びそう。はやくクリスマス来いよな。今日はおわり。
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  1. 2015/08/12(水) 17:27:35|
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